ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
「7階でございます。」
その言葉を聞くとエレベーターで行くか、階段で行くか迷ったが、
ゼーハー言いながら5階まで登って来た。
姐さん「ねぇ エレベーターで行こ。」
「いいや、階段で行く。」
ゼーハーゼーハー・・・
よっぽど用事が無いかぎり、7階なんて来ないところだ。
市役所の7階まで階段で行くって、遠いな~
何課だったっけ?
聞いた時には覚えてたけど、階段のゼーハーですっかり忘れてしまっている。
(漢字ばかりの長い課名)
フロア図内の課名をひとつひとつ記憶と照らし合わせた結果、わかった。
・・・今は何課だったか思い出せないケド。
用事を済ませ、
1階へは姐さんたってのお願いであるエレベーターで、何の楽しみもなく降りる。
チーン。
1階フロアを一周してから出ようとなったが、二人とも、とある掲示物に注目した。
出雲市の人口だ。
合併する前は約68000人だったはずだが、合併してからは168000人にまで増えたのは記憶している。
下記は出雲市の人口と国籍別・地域別の外国人人口だ。
100人以上の人数の国籍を見ると
ブラジル 3145人
ベトナム 402人
中国 319人
フィリピン 216人
韓国 135人
ミャンマー108人となっている。(おぉ ミャンマーの方が108人もいらっしゃる^^)
日本人(出雲人)170212人に対して、外国人 4598人 比率としては約2.7%
おそらくほとんどの方が、日本へ働きにきておられる、またはそのご家族かと思う。
日系ブラジル人の方とお話しできる機会があり、聞くとその方は18年前?に
ご家族で来雲され、自分が働き手となりご家族を養っているという。
「ブラジルへ帰らないの?」の質問に
「わたしは日本がスキだからナ。家族も日本がスキだからナ。」
「家、買ったヨ。」
「わたし、頑張らないといけないからナ。」
「わたし、覚悟しているヨ。」
約110年前に日本から移民としてブラジルに渡り、大変なご苦労があり、
今の方々は3世 4世の世代だと思う。
最初は契約移民として、781名の日本人だったのが、その後100年間で13万人もの日本人が移民として渡り、現在では約160万人もの日系2世~3世の方々が住んでいる。
わたしの個人的なふるさとのイメージは
“うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川”である。
お話しできた日系さんのふるさとイメージは、お父さんの畑だそうだ。
聞くと、2000ヘクタールの畑。
・・・1ヘクタールって、一辺の長さが100mの正方形の面積だから
10ヘクタで1000m(1km)でしょ・・・
2000ヘクタール?・・・う~んデカい故郷だ。
「あっ ヌーくんだ!」
姐さんと近所を散していると、護岸整備された川にヌートリアが泳いでいた。
見つけた時は、川の中央にいて水草を食べていた。がカメラを用意していると
コンクリート壁に(中央)に張り付いてしまった。(後で拡大)
体長は60cmはあり、大人の単独行動のようだ。
もともとは南アメリカに生息していたものが、1939年に軍用の衣類確保のため150頭が輸入され、1950年代の毛皮ブームの後、放逐されたり、逃げ出したりしたものが野生化しているとのことだ。
20年くらい前にこの川で見たことがあるが、あれ以来見たことがなかった。
寿命は野生だと5~8年くらいらしいが、繁殖する相手がいないと子孫を残せない。
そして、環境に適応していくことが子孫を残すことで重要になっている。
お~い きみの故郷はここなのかい?
この川は、わたしが幼いころ(悪い事をして)親父に追いかけられた川だ。
昔の面影は全くないが、数百メートル上流に行けば50年前のままの
“わたしのふるさと”の情景がある。
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
数百メートル先でも、なかなか行かないものなのに・・・だ。